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オレ的、ペーパー・メディア論。

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林家ペー・パー子級に過去のものとまでは言わないけれど、今の世の中“ペーパー・メディア”の存在がだいぶ危ういものになっている。

出版不況が叫ばれてからもうすでにかなりの時間が経ってはいるけれど、それでも、ここ最近まではまだ作り手も読み手も踏ん張って、紙メディアにしか表現できない世界を残すための努力をしていたと思う。

でも、いよいよ状況は切迫してきた。というより、すっかり疲れ切ってしまったと言った方が正しいのかもしれない。雑誌、もはやヤバいでしょ。特に、クルマ雑誌。どれも似たり寄ったりで、そこにはもはや“主張”が感じられなくなった気がする。

ボクは小学生のときから「カーグラ」を定期購読していたほどの、筋金入りのクルマ雑誌バカである。中学に上がるとかなりの冊数のクルマ雑誌を、毎月なけなしの小遣いで買っていた。特に好きだったのは「NAVI」と「くるまにあ」。高校に上がると「デイトナ」も創刊されて、誌面の中に新たなカルチャーが見て取れて虜になった。雑誌を通してクルマの幅のある遊び方を教えてもらった。あとは「ゲンロク」も、毎号ではないけど、買ってたな。

ハタチを過ぎると縁あってその「ゲンロク」で学生バイトをすることになり、途中一度抜けたりしつつも、気づけば大好きな雑誌作りができる環境にスルッと潜り込んでいた。そして、そのどこまでも奥の深い雑誌作りのイロハを知れば知るほど、すっかりのめり込んだ。で、そのまま早20年。いまだに雑誌編集者で飯を食っている。雑誌作りは、自分にとっての天職だと思っている。

ともあれ今から10年とちょっと前の00年代、クルマ雑誌はまだまだ輝きを放っていた。どの雑誌にも個性があって、何よりそれぞれの色、まさに十人十色、すなわち個々の主張が明確だった。

例えば、ポルシェが新しい911を出したとする。すると各誌が一斉に911の特集を組みはじめる。速報的なでデビュー記事とか国際試乗会の記事はまあ、皆が広報写真で組むしかないのだけれど(それでも、見せ方には工夫が必ずあった)、それ以外はもう各誌が意地を張り合うように、「自分たちにしか組めない企画」を組んできた。

「カーマガ」だったらナローとか旧車ネタをうまく合わせてヒストリーが学べたし、「NAVI」は人の匂いのする得意のアカデミックな文化論で押していた。そして「ゲンロク」だったら欧州チューンドの情報や、あとはスクープ記事や予想記事を独自のCGイラストを駆使したりしながら、“他では読めない”情報を落とし込むことに心血を注いだ。とにかく、各誌が自分たちの色を誌面を通して真剣に競い合っていたからこそ、面白かった。その全部を読み比べて、そこで「あ、やられた」「これはウチの方が面白いぜ」と、誌面を通して一喜一憂できたことが、何より楽しかった。

ちなみにポルシェ・ネタで言えば「CarEX」が秀逸だったな。後にあの「LEON」を立ち上げたチーム岸田の編集・制作だけあって、「空冷ポルシェ、乗らずに死ねるか?」とか、かなりイカしたタイトル(と中身)の企画が誌面にいつも躍っていた。ページを捲るたびに、次はどんな展開なんだろう?って、先が読めないからこそ、読んでいて本当に楽しかった。心から、ワクワクできた。

そう、雑誌の、紙のメディアの醍醐味は、ページを捲れるところにある。前からでも後ろからでも、自分の好きなように捲れる。それは受動ではなく、能動のメディア。だから、例えば写真から伝わってくる空気感の奥側を想像力で覗くことができたし、文章もまさに“活字”として、書き手の思いが活き活きと伝わってきたものだった。

そう、そこにはどこか生き物的な生っぽさ、いわば作り手の血が通った体温みたいなものが、しっかりと介在していたのだと思う。

いまの時代は、言うまでもなくデジタル全盛である。情報はPCどころかスマホから受け取るのが常識で、SNSが普及してからはそれこそ、一般の人たちが「自分発信のメディア」を持てるようにもなった。「Youtube」もそうだけど、プロより素人の方が余計な「しがらみ」に縛られていない分面白い——そんな時代になってしまった。

だからペーパー・メディアは、紙媒体はつまらなくなったんだとは言いたくない。だってデジタルに負けたことを認めたら、アナログの未来が潰えてしまう気がするから。

じゃあ、ペーパー・メディアはどこへ向かえばいいのか?

その答えはひとつだと思う。必要なのは“熱”なのである。言われたことをただ伝える(垂れ流す)のではなく、言いたいことを真っ直ぐに伝えるという熱が、生のメディアであるペーパー・メディアには再び必要なのだ。

クルマ雑誌が取り上げる題材、そうクルマという存在そのものが、どこかで熱を失いつつあることも、それは事実だと思う。それが時代の流れなのだから仕方ない。それも、事実だ。加えて、雑誌作りを手がける人々の年齢が、いまやすっかり高齢化してしまっていることも否めない。

でも、だからこそ表現できる熱さはあると思う。飲み屋でお姉ちゃんを口説くのだって、いくら勢いがあっても中身が薄っぺらい小僧じゃ説得力がなくてモテないのと同じで、経験を積んだ親父には、奥行きという説得力がある。「この人の奥側って、どれだけ深さがあるんだろ♡」って、ものごとをきちんと俯瞰できるいい女なら、そこに興味を抱いて惹かれてくれるというのは、世の真理でもある。

そう、雑誌は、ペーパー・メディアは再び“熱”と“奥行き”で勝負すべきなのだ。実際、その労力はハンパない。時間も金もかかる。でも、そこを貫き奥の深い誌面が編めれば、ボクは必ず、「雑誌にしか表現できない世界」がこの先にも残していけると信じている。

というわけで、ボクはなんで爽やかでオシャンティーであることを売りにするエスカンのデジタルメディアで、こんなに暑苦しい思いを語っているのだろうか。

うーん、やっぱり古臭いアナログ人間なんすよ、ボクは。そこだけは譲れない(笑)鹿田パイセン、ガンガン稼いで、いつかはエスカンでペーパー・メディアもやりましょうよ。パイセンの真の熱さを表現するなら、それしかありませんって。

「エスカン・マガジン」創刊、期待してまーす♡

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この記事の執筆者

高田 興平

Ko-hey Takada

モーターヘッド編集長

高田 興平の記事一覧>>

1974年式の43歳。寅年。職業は編集者。ジャンルレスなモーターカルチャー誌「モーターヘッド」&コレクター向けのハイエンド・カーライフ誌「Gentleman Drivers」の編集長を兼務。他にもイベント関係などアレコレ手がける浮気性(?)。既婚。愛車は1982年式のメルセデス・ベンツ500SL。

この記事の執筆者

高田 興平Ko-hey Takada

モーターヘッド編集長

1974年式の43歳。寅年。職業は編集者。ジャンルレスなモーターカルチャー誌「モーターヘッド」&コレクター向けのハイエンド・カーライフ誌「Gentleman Drivers」の編集長を兼務。他にもイベント関係などアレコレ手がける浮気性(?)。既婚。愛車は1982年式のメルセデス・ベンツ500SL。

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