私は今、一万メートル上空でこのコラムを書いている。
眼下には上等なシルクで織られたような、真っ白で柔らかそうな雲の絨毯が広がっている。
そして、雲を境目にどこまでも青で塗りつぶしたような空が気持ちを高揚させる・・・
キャー!!!なんてキザな書き出しだろう!!おいおい、どうした!?
まるで自分が伊集院静にでもなったような気分だ。(伊集院静さんに失礼極まりない!)
しかし、こんな気持ちになるのはこれから観るライブへの期待値が相当高いからだろう。
伊丹空港から約2時間、北の大地で待っているのは「ボス」こと、「矢沢永吉」
音楽を聞かない人でも矢沢永吉の名前と存在はもちろん知っているだろう。
日本を代表するロックミュージシャンであり、数々の偉業を成し遂げている。
1972年にロックバンド、キャロルでデビュー。
それまでの日本の音楽シーンには無かった「ロックンロール」を武器にステージ上がったキャロルは当時の若者たちから熱狂的な支持を得た。
ヘアスタイルはリーゼント。レザージャケットで身を包み、「君はファンキーモンキーベイベー!」とシャウトする姿は一世を風靡した。
しかし、このキャロルは2年という短い歴史で幕を閉じる。
そして、矢沢永吉はソロアーティストと歩み始める。
光栄にも僕は何度か矢沢さんにインタビューをさせてもらっているのだが、この時の心境を本人に聞いてみたことがある。
-矢沢さん、キャロルが解散して、ソロになった時にはどんな気持ちだったのですか?
「怖かったよ。バンドという形があったから好き勝手出来たんだって事に気づいたね。眠れなくなるほど不安だった」
今やLEGEND OF ROCKと呼ばれる矢沢永吉も当時はまだ20代。
これから自分がどうなるのか?どんな音楽をやっていけばいいのか悩んだにちがいない。
–「最初、散々な目にあう、2度目、落とし前つける、3度目、余裕」–
アーティストとしての活動は40年以上。そのキャリアの中には初の後楽園球場ライブ、日本人ミュージシャンとして初の武道館ライブ、80年代には渡米し、アメリカでCDをリリース。さらに、ドゥービーブラザーズをバックバンドに凱旋ライブを成功。武道館でのライブ回数は史上最多の100回を越え、150回に迫る。
この記録を見るだけでもいかに矢沢永吉という人物のすごさが伺える。
チャレンジャーとしての姿勢を崩さず、常識をひっくり返してきた。
結果だけを見たらカッコいい。
しかし、その挑戦は順風満帆ではなく、時に大きな失敗も食らいながら、
諦めない姿勢がさらに共感を呼ぶのだ。
そんな矢沢永吉、音楽はもちろんだが、発信する「言葉の力」がすごい。
ネットでググればすぐに出てくる「矢沢語録」
「オレはいいけど、YAZAWAはどうかな?」に代表されるように普通の人ならば思いつかないような角度で言葉を発する。
それはステージのMCでも様々な名言・迷言(笑)も。
60歳の還暦ライブは東京ドームで開催された。
満員のお客さんの前で矢沢はこう言い放った。
「サンキュー、矢沢の筋肉!」
60歳になっても2時間のステージをフルで出来ることへの喜びなのだろう。
強いだけでなく、微笑ましいエピソードも飛び出すのも魅力の一つ。
そして、今年、「69歳」、まさしく「ROCK」な年齢に北海道、名古屋、大阪、広島、東京でSTAY ROCKツアーを行う。
しかも、大阪と東京はドーム!!!
京セラドーム大阪は長いキャリアの中でも永ちゃん初!
このレジェンドを観ないのは勿体無い!!
さて、そろそろこの飛行機も新千歳空港に着くようだ。
北海道でYAZAWAパワーを注入!!